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福岡地方裁判所小倉支部 昭和37年(わ)906号 判決 1963年5月15日

被告人 榎一憲

昭四・九・一〇生 無職

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は「被告人は、首藤、坂口こと川上安男と共謀の上法定の除外事由がないのに、昭和三七年一一月一〇日午前三時二〇分頃、北九州市小倉区白銀町西一丁目白はと旅館において、塩酸ジアセチルモルヒネを含有する麻薬約五、九一六五瓦を所持していたものである。」と謂うにある。

よつて本件各証拠によつてこれを審究するに、先づ首藤、坂口こと川上安男については、同人が神戸市より北九州市小倉区千歳町一丁目藤本シズノ方に来て叶定盛、大田八郎と共に麻薬を密売中昭和三七年一〇月九日右叶、太田らが逮捕せられたのちは、身の危険を感じ麻薬密売を止め、所携の麻薬を自己の施用に充てながら居所を転々としていた者であるが、同年一一月九日止宿先の同区白銀町西一丁目白はと旅館の二階の部屋に訪ねて来た被告人榎を誘つて同日夕方から同区香春口の日活館に映画を見に出掛けたが同夜九時三〇分頃同館を出てから急に注射をしたくなり、右榎には同区三萩野の旭パチンコ店で待つように告げて前記白はと旅館に戻り、その自室のベツトのマツトと布団の間から煙草パールの空箱に入れていた麻薬を取出し自己に注射したのち、右旭パチンコ店に行き被告人榎と落合い、その間二、三〇分を要したが、同所から同人を伴い同区鳥町に出掛けバーや屋台で飲酒し、翌一〇日午前三時頃になつて同人と共に前記白はと旅館に戻つたが、同夜は同旅館に泊る気がしなかつたのと酒に酔つていたので、同旅館玄関の式台附近の廊下で、被告人榎に対し「今夜は到津の姪方に帰えるから二階の俺の部屋のベツトの下、枕もと辺りに眼鏡と品物があるから持つて来てくれ、若しかすると便所の横の倉庫のようなところに置いているかも知れない」と頼み(右川上の検察官に対する供述調書(昭和三八年、一、一二日附)中には「ベツトの枕下辺りに眼鏡と品物があるから持つて来てくれ、若しかすると便所の横の倉庫の様なところにクスリ(麻薬の意)を置いているかも判らん」、「クスリのことを確かに口に出し又ベツトの布団とマツトの間に単なる煙草だつたら隠くす必要もなく又持つた感じからも私が持つてくるように頼んだ品物がヤク(麻薬の意)であつたことは榎には十分知つていたと思う」旨の記載があり、当公廷において、被告人榎は便所の横の倉庫云々は聞かなかつたと主張し、右川上はそんなことは云つたが、クスリとは云わぬし又、確かに口に出したことはないと主張するが、被告人榎は麻薬施用者でも密売者でないと認められるし、右川上も被告人榎を麻薬の世界に誘惑しようとしていたものでもないことが認められるので、クスリというような隠語が、その場で用いられたとは措信し難い)間もなく前同所で、同人から眼鏡一箇、散紙に包んであつた注射器(針二本付)一箇(証第二号)、塩酸ジアセチルモルヒネを含有する麻薬二包(計約五九一六五瓦)(証第三号)と乾燥剤一袋(証第一号)の入つた煙草パールの空箱一箇を受領し、直ちに玄関で靴を履きかけていたところを警察官に逮捕せられたことが認められるので、本件公訴事実は、被告人榎と共謀の上という点を除き、優にこれを認定できるが、本件被告人榎については、同人は、右川上が弟利憲の小学校時代の同級生で隣町に住んでいたので少年期の遊び友達であつたに過ぎず、昭和三七年九月中旬頃利憲を頼つて同人が麻薬密売のために来て前記藤本方に止宿して遂いには同行の前記叶、太田らが逮捕せられたのも、同被告人が胃炎(出血性)のため入院中のことで、寧ろ右藤本シズノや妹にも何故止宿させたかと文句を云つていた位(太田八郎の検察官に対する調書(謄本)中には被告人榎と川上は毎晩のように酒飲みに行つていたとか麻薬密売のことも知つていた筈だとの旨の記載があるが、右藤本シズノの検察官に対する供述調書の記載と対比してたやすく措信できない)であり又同年一一月六日頃誘われて川上をその妹の牧小夜子方に訪ね同人が麻薬を注射しているのを見てこれを諫止さえしているような交友関係にあるものであるが、前記のように、川上から誘われて、同年一一月九日川上を前記白はと旅館に訪ね、夕方から映画を見に行つたり鳥町のバーや屋台で川上の飲酒の相伴(但し、その際被告人榎は飲酒していないと認められる)をしたりして翌一〇日午前三時頃、同人と共に右白はと旅館に行き、同旅館玄関式台附近の廊下で、右川上から前示のように依頼され、そんなところに置いているのは麻薬でないかと疑がつたが絶わる訳にも行かず、直ぐに階上の川上の部屋に行きベツトの枕もと辺りのマツトと敷布団の間を探し、広告ビラの包みを取出した途端、包紙が破れて前示の如き品々が出て来たので、それを取上げ、煙草パールの箱の中味は麻薬ではなかろうかと思つたが調べずそのままで、又部屋の机の上にあつた眼鏡一箇と共に持ち、急いで階下に隆り、帳場でお茶を飲みながら話をしていた川上を促がして前記廊下に至り、同所で同人にこれを手渡したこと、同人の右麻薬携帯の距離は約三〇米、所要時間は約四三秒であつたことが認められる。(右所要時間の点で、右川上の司法警察員に対する供述調書(昭和三七年一一月二一日附)中では「何分もたたぬ間」と、同人の検察官に対する供述調書(昭和三八年一月一二日附)の中では「約五分」との各記載があるが、同人は当公廷においては酒を飲んでいたので判然しない旨を述べ、被告人榎は当公廷で「二、三分です」と主張しているが、単なる時間的経験から云うておるに過ぎずいずれも措信できない。)右の認定事実をもつてすれば、被告人榎の所為は、一応外形的には、本件公訴事実記載のような麻薬不法所持の構成要件に該当するものではあるが、麻薬取締法第六四条第一項第一二条第一項で罰する麻薬の不法所持の所持とは勿論これを自己の実力支配関係の下に置く意味の把持がなければならず、この程度の把持がない以上たとえ携帯しても犯意のないもので、所持罪は構成しないと解するのが相当である。たとえば、同一室内で友人から棚の上にある麻薬を取つてくれといわれて取つて即時その場でこれを渡す携帯行為の如きもそれに該るものであろうが、それと本件のように同じく友人に頼まれた同一旅館内での階上の部屋から階上の部屋から階下の廊下までの短距離短時間の携帯行為と何処が相違する点があるであろうか同じく自己の実力支配関係の下に置く意思のある把持とは認められず、所謂不法所持とは認められないのである。従つて「川上安男と共謀の上」という点も犯意を相通じたとは認められないし、これを認めるに足る証拠もない。

又然らずとするも、被告人榎と右川上との交友関係からして、携帯した麻薬について未必的認識しかない被告人榎が、川上から軽く依頼されてその部屋から取つてきて本人に手渡したに過ぎずその携帯行為も同一旅館内の短距離短時間であるという事情にある本件携帯行為は、誰をその立場に置いても矢張り同じ行動をとつたであろうと思われる場合に相当するから、被告人榎の本件所為には所謂期待可能性がなく、その責任を阻却するものである。

よつて本件公訴事実は罪とならぬので刑事訴訟法第三三六条前段により無罪の言渡をなすべくなお、訴訟費用負担につき同法第一八一条第一項但書を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 富山修)

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